俺の好きな馬 |
順位 |
名前 |
父
母(母の父) |
理由 |
1位
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ロイスアンドロイス |
トニービン
ザッツマイパル
(Key to the Mint)
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未勝利で青葉賞に挑戦し、3着に入るも未勝利のためダービーに出られないという悲運。基本尻足相手なり。その後の94年天皇賞秋、ジャパンカップの3着激走はまさに感動。特に94年ジャパンカップはマーベラスクラウン(1着)、パラダイスクリーク(2着)とボックスで5000円ずつ突っ込んでいたので、もし3連単がその当時あったら俺は大金持ちだったかも?96年天皇賞春出走後(11着)、腸ねん転で死亡。残念。 |
2位
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タイキブリザード
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Seattle Slew
Tree of Knowledge
(Sassafras) | 兄がTheatricalという超良血。彼も尻足相手なり。3度あるGT2着は、やはり 宝塚記念(ダンツシアトルとの死闘)が一番印象に残っているが、96年BCクラッシックに挑戦して見事に玉砕してくれたのも潔く負けて納得。現役最後の年、京王杯に勝ち、GT安田記念を制したときは感動しました。現役種牡馬。 |
3位
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クエストフォベスト |
トウショウボーイ
ダイアナソロン
(パーソロン)
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93年クラッシックの藤沢厩舎秘密兵器。故障しなかったら岡部幸雄はこの馬と組んでおり、ビワハヤヒデとのコンビは無かっただろう。間違いなく皐月賞はもらっていただろうと今でも思っています。たぶんGTを3つは勝っていたと・・・。1年10ヶ月の休養後500万条件に出走するも惨敗。その後1戦して引退。種牡馬になるも泣かず飛ばず。 |
4位
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ステイゴールド
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サンデーサイレンス
ゴールデンサッシュ
(ディクタス) |
とにかくステイゴールドが出た重賞はすべて馬連を総流ししました。しかし3着が多かった。でも、98年春の天皇賞、宝塚記念、そして秋の天皇賞のオフサイドトラップとの万馬券(2着)、翌年のスペシャルウィークとの死闘(2着)万馬券等けっこう当たりました。印象に残るのはテイエムオペラオーを撃破して1着になるも、失格になった京都大章典。ちなみにドバイシーマクラッシック(GU)優勝、最終レースの香港ヴァース(GT)を勝っております。現在種牡馬。 |
5位
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ケントニーオー
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トニービン
ケンマドンナ
(ドン)
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クエストフォベストとの春奈賞での死闘が忘れられず、彼も応援する。5歳(現4歳)の中山記念を降着(2⇒5着)になってから、局部不安に悩まされ、ケントニーオー自身の競走馬生活も降着。8歳まで粘るも再度局部不安で引退。種牡馬になるもプライベート種牡馬だったため、産駒少なく現在不明。 |
6位
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マイシンザン
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ミホシンザン
ファイブソロン
(パーソロン)
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鬼気迫る追い込みに多くのファンも多いはず。屈腱炎の長期休養がなければ、GT勝ってたかも。ロイスアンドロイスが3着になった秋の天皇賞で、ロイス、ビワハヤヒデ、マイシンザンの馬連ボックス勝負で玉砕したのが懐かしい。 |
7位
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グロリークロス
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シービークロス
シユツラン
(シンザン)
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最後のレースになったNHK杯(当時GU2000M)で第4コーナーで骨折したにも関わらず、まだ走ろうとしていた姿が涙をそそります。(予後不良) |
8位
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ステファニーチャン
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アーミジャー
チャリタブル
(リファール)
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4歳(現3歳)で4歳牝馬特別でフサイチエアデ-ルの2着に入り、オープン入りしてから泣かず飛ばず。翌年バーデンバーデンカップで9頭中8番人気で激走1着。その後また泣かず飛ばず。名前が気に入ったので買いつづけました。 |
9位
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ユキノビジン |
サクラユタカオー
ファティマ
(ロイヤルスキー)
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桜花賞の前日、まったくお金が無くまったりしていたら知り合いの友達がきて「引越するんで付き合ってよ」と有無をいわさず「新潟」まで連れて行かれる。お礼に1万円もらい、翌日の桜花賞の「ベガ」の相手を探す。新潟が「雪景色」だったことを思い出し、「ユキノビジン⇔ベガ」で5000円。的中。その後、あれはまぐれだったと思い、オークスでは「ユキノビジン」切り。見事2着に入り、泣き。 |
10位 |
ハーツクライ(現役) |
サンデーサイレンス
アイリッシュダンス
(トニービン) |
俺好みの「ジリ貧」の感じがぷんぷん。母アイリッシュダンスとは相性がよく、「絶対来ない」カモレースで人気になってこけてくれた。息子とも相性がいいよう。ただ、息子はGTで健闘してほしい。(有馬勝っちゃったな!) |